「迷える子羊たちよ私のもとへ、人は皆神の子、平等でなければならない」と思想をもった
キリスト的ヤギは世界で何頭いるだろうか?
ヤギのちっち(乳)で育ち幼い子供に飲ませ成長を助けヤギの本分を全うし
自分は人間のため、一生懸命がんばってちっちを出しているのだという自負心を抱き
貧乏な家族を助けるヤギである。(そんな奇特なヤギはいるわけない)
だいたいそんなヤギを飼った日にはヤギ様、きょうもごきげんうるわしゆう
ございます。それではちっちを搾らせていただきます。
なんてことをいい,機嫌をとらなければならないからめんどうだ。
悟りを開いたヤギはごめんである。
普通のヤギの話
ヤギは家の周りでよく放し飼いにしておいて、わざわざ放牧につれていかなくても
家の周りの雑草を食ってくれたからそれはもう草取りをしなくてすむから
大助かりでちっちは出すし一石二鳥、このヤギ、親戚の女の子が遊びに
きてヤギを見るのも珍しく、ヤギさんこちら、手のなるほうへと歌い近寄ったら
ヤギが女の子めがけて突進し頭づきをくらわす事件。また家の草だけではヤギは
飽きてしまい栄養化の高い草を求め家から2分くらいのところに線路があり
うまそうな草がいっぱいありヤギも喜び食べ始める。やがて汽車が汽笛を鳴らし
ゆっくり走り近寄ってくる・・・・こういう時はやはり怖くなる、ヤギは怖くないらしい、
ヤギを置いて逃げました。
こんな恐怖の体験はちいさな子供には残酷である。逃げる、走る、、、ヤギは怖くないらしい。
ヤギのちっちは朝飲んだ。記憶に残っているのは朝一番の絞りたて冷蔵庫が無いもんだから
保存がきかなく悪くなりやすいからだと思う。
鍋にヤギのちっちを入れ煮るとまもなく表面にうすい膜ができる。それを食べるのが
好きだった。
なにはなくとも丈夫な身体のみなもとを与えてくれたのはヤギのちっちだった。
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