ふるさと南部町りんごのかまり
ふるさと南部町には、かまりがある。りんごのかまり、母のかまり
父の煙草のかまり、においのことを南部地方ではかまりと言う。
ふるさと南部町には11月にかならず帰る。
りんごのふじが赤く色つき収穫できるころ母へ電話する。
りんごもぐに行ぐ。母はこの電話を今か今かと待っては
いるものの自分からなかなか言い出せないのがわかっているから僕
の方から連絡をとる。
母はりんごが赤く色づくころ
「来るな、来るな。くれば、金かがるし、おめえもたいへんだ、
一人でなんとかなんべせ」
と言う母は気丈な一面を見せるが 裏を返せば来てほしい、の願望なのだ。
僕はますます帰りたくなる、かまりをかまりたくて。
一人になった母はりんごを収穫するのは大変な重労働なのだから
りんご作りはやめたらいいのに、と思うがそれが生きがいだから言い出せない。
りんご作りの作業で一番忙しいのは収穫の時期、30kgもあるりんご箱を畑から
家まで軽トラックで運び蔵の中へ入れ5段6段と積み上げなければならず、もう大変な
重労働なのだ。それに11月になると初雪がちらほらと降りてきて
急いでほっかむりをしても体がブルッブルッと震える。
父の一周忌は田植えの終わるころ
三反五畝余りの田をなでるように耕し
田の仕事はな〜「手間、合間、昼間 からやいでばわがねんで
やませ風、吹いたら水ばぬるいの入れろ」が父のくちぐせ。
三反五畝余りの田は父の命。
ふしくれだった指、しわがれた声
まるくなった後ろ背中はモノ言わぬ化石。
それでも母のお酌のとたん顔がクシャクシャになり上機嫌で
村で一番、米を出荷してるとごろあ、オラほだ
母は「んだ、んだ、そのとうりだ」とあいづちを打つ。
40になり二人の子供に恵まれ親の気持ちが解る年代になり亡くなって想う
親の心や哀しさを理解してやれないあの頃、この父や母を捨て遠くの東京は
父や母を忘れ華やかに、おもしろおかしく暮らす日々は父や母
が田植えをしてることも、りんごもぎをしていることも想いやれなかった。
この父としみじみと語り酒を酌み交しかった
うん、うん、それから、どうした〜ああ、大変だったなあ〜
父や母が生きた証を僕はこの身に受け止めたかった
父は僕の相槌に満足げにうなずき母が作ったどぶろくを僕の湯飲み茶碗につんだ。
そばにいる母は菊の花を茹でながら
早ぐ、寝んで、お前はたくさんに酔ってらと言って夢の中の母は微笑んでいた。
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