藁で縄を編むとはいわない、わらで縄をなうという しかし、髪を三つ編みにするとはいうが
髪を三つ編みに綯うとはいわない、このへんが日本語の難しいところです。
「縄をわらで綯う」最近はこんな言葉は年輩の方々も滅多に聞いた事がないでしょう。
綯う、という言葉ってほとんど聞く事がない、忘れられた言葉ではないでしょうか。
縄をなってどうするんだ?何に使うんだ?どうだ・どうだとお客様の疑問のお声が聞こえますが
さて何につかったらいいでしょう。
昔はいろいろ使い道があったそうでおもしろいのは「糞縄を張る」イタズラがあった。
どこの村にも悪がきが3〜4人おり隣村の連中が村のはずれの庚申様へさしかかるころ
大変だ・大変だ・兄い,
隣村の誰々ど2〜3人来たぞ、と1っこ年下の舎弟が兄貴と慕っている
ゼンの家へ教えに来る。当時は隣村同士子供たちが仲が悪くよくケンカをしていた。
ゼンの本当の名前は善行だが、善い行いはほとんどなく
イタズラばっかりしている。そんなもんでみんながゼンと呼んでいる。
よし糞縄張ってやるべ、縄バ肥え樽入れだ(下肥えに使う樽)それ二人で両端持って走る、走る。
相手が来たらこれで道の両端に張って引っ掛ける考えだがそう簡単にはいかない。
相手は縄が見えたから、コレ糞縄だべ、そったらのさ引っ掛かるてがー
は、は、は、は、と笑いながら帰っていった。
しょうがないから二人はその縄を誰か引っ掛かるべーといって道の両端の杉の木
に結わいておいた。
村も薄暗くなり「おっほ」がホー、ホーと鳴き、この地方ではふくろうのことを「おっほ」と呼びます。
ちなみにお母さんのことを「あっぱ」と呼びます。お父さんは「だだ」です。当時はそう呼んで
おりました。今はパパ、ママでしょう。おじいさんは「まま」ママとは違います。アクセントがちがいます。
混乱させてすみません。「おっほ」も「あっぱ」も「だだ」も「まま」も「ママ」も
一緒くたになりました。混乱ついでにもうひとつ、ごはんは「まんま」
まま、まんま、け は南部弁。おじいさん、ごはんを食べて下さい
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と言う意味です。
つまご屋は南部弁の響きが好きなのです。余分な装飾語がない、単純明快
だが言葉にやさしさがあり今でも使いたい日本語百選に推薦したいのであります。
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子供の頃はこんな格好をしておりました。
坊主頭の着物に藁ぞうり、皆んな同じ
姿だから格差なし、たまに洋服
なんか着てくるといじめの対象になるから
誰も着てこなかった。
(絵は尋常小学修身書より抜粋)
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庚申様のところさ、糞縄張ったのあ、おまえの息子、ゼンだべ、ゼンだせ、ゼン出せ、
こんな悪さするのはゼンしかいねえ、とゼンの家さ怒鳴りこんできたのは隣の家の「だだ」
ゼンもようしたもんで家から姿消してすまっていだ。
子供のやったことだで許してけろ。まあ上がって一杯やってけろ、どぶろくを勧められ
しょうがないな〜、おめえところのゼンありゃうまぐいげば将来大物になる可能性ありだなあ
なんてこと言う。
で、二人ともすっかり酔いが回り、そんな頃合を見はかりゼンが帰ってきた。
何処さ行ってらあ、この悪ガキ、といって「だだ」は怒って拳を振り上げる。本気で怒っている
訳ではないが隣の「だだ」のてまえもあるから一応、隣の「だだ」はまんず、まんずと言って
二人を止めに入ってめでたく一件落着。
つまご屋は庚申様に感謝するとともに今までのご無礼を詫びなければなりません。
そこに鎮座されております事も忘れ、なにげに庚申様の横を車で走り去るつまご屋、
庚申様は毎日そこを通るたびいってらしゃい、気をつけて、お帰りなさい無事で良かったですね。
と見守っているのに、気にも留めていなかった。
ところで庚申様はいつの時代からそこに座っておられますか?
人間界では石の上にも3年といいますが、神々の世界ではどうでしょうか、江戸時代以前かも?
それにしてもいろんなことを見てこられたとおもいます。
あたしぁ、あなたなしでは生きてゆけませぬ。どうかあたしを連れて逃げてくださいな、
あたりめえじゃねえか、おりん、一生おめえをはなさねえ。
恋の路ずれ旅する男女も温かく見守ってくださった。こんなやさしい庚申様、これからも
この地方をずう〜と、ずう〜と守ってください。
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道の別れに鎮座する庚申塚
道は国道に変わりじゃりみちは
アスファルト。庚申様は隅のほう
に追いやられひっそりとたたずむ |
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