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かえるの漂着、木枯らし吹く秋の
終わりの旅人よ
秋の風やかえるの漂着は世の常ならぬことも
ひょうひょうとして去り行く人もまた旅人なり。
旅人の名は木枯らしの紋次郎
一宿一飯の恩義を受け旅から旅への旅がらす。 |
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かえるの漂着、木枯らし吹く秋の終わり
秋の終わりの木枯らし吹く風はトマトハウスのビニールを吹き飛ばし、そのビニール
に雨水が溜まり小さな池を作る。こんなことをする木枯らしな悪戯は木枯らし紋次郎
に戒めてもらいたいのが本音でして、木枯らし紋次郎のほうはフッと口に銜えた
爪楊枝を吐き出しニヒルな顔を斜め18度に傾け破れたカラ笠から鋭い眼光を放つ。
渡世人だとか旅烏などと呼ばれ、この世の裏街道をあてもなく彷徨う男はいかにも
木枯らしが似合う。
かえるの漂着
木枯らしは枯葉を吹き飛ばし、その枯葉に必死でしがみ付いたかえるは偶然
にビニールの池の中へ落ちるも一難さってまた一難、これがかえるの漂着。
井の中の蛙は一人ぼっちでかわいそうであるが、救助はできないし
消防のレスキュー隊でもない。また泳げない。
木枯らしの去った空はどこまでも青く透き通りその空をカラスがぐるぐる
回ってる。どうやらかえるを狙ってるらしい。
もしこのかえるを救助したら次の日、かえるの両親がやって来て
昨日は私どもの一人息子のかわいい子を助けてくれてありがとう
ございました。わずかですがほんのお礼です。
と言って一億円の札束を置いてゆく。
そして一億円の札束に目がくらみ、博打に酒に女におぼれ狂う果ては
人間の悲しいさ、つまご屋もやはり、この手の人間であろうと人は言うだろうが
一億円の札束にありつけないのが残念とはおもわない。
このカエル、だいたい人間を何様だと思っているのか、カエルの分際で金でつまご屋
を操ろうとしているカエルの成金がえるなんて聞いたことない。
カエルはカエル、紋次郎は紋次郎
それぞれの役割がありみんな一生懸命、自分の仕事を果たすべきである。
カエルの運命はそれまでの命よ、カラスの餌食になるのが自然の成り行き
カラスには、お腹を空かしたかわいい七つの子がありカエルは死んでもカラスの子のためになる。
またカエルなど餌があるからカラスは里へ飛んできてゴミ集積所を荒らすこともなく
山で幸せに暮すことができる。
秋の終わり
秋の終わりはかえるがえるも北の果て、破れガッパに切れわらじ
秋の終わりの帰る里山雪の中
かえるカラスの後を追う
などと木枯らし紋次郎はシャレた文句をつぶやき秋の終わりの日。
後ろ姿の孤独さよ、さまよう日々のはかなさはカラスもみな同じ。
秋の終わり、指かじかむ木枯らし秋だいこん。
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